追憶 5

二一 活動写真

 僕がはじめて活動写真を見たのは五つか六つの時だったであろう。僕は確か父といっしょにそういう珍しいものを見物した大川端(おおかわばた)の二州楼へ行った。活動写真は今のように大きい幕に映るのではない。少なくとも画面の大きさはやっと六尺に四尺くらいである。それから写真の話もまた今のように複雑ではない。僕はその晩の写真のうちに魚を釣(つ)っていた男が一人、大きい魚が針にかかったため、水の中へまっさかさまにひき落とされる画面を覚えている。その男はなんでも麦藁帽(むぎわらぼう)をかぶり、風立った柳や芦(あし)を後ろに長い釣竿(つりざお)を手にしていた。僕は不思議にその男の顔がネルソンに近かったような気がしている。が、それはことによると、僕の記憶の間違いかもしれない。

     二二 川開き

 やはりこの二州楼の桟敷(さじき)に川開きを見ていた時である。大川はもちろん鬼灯提灯(ほおずきぢょうちん)を吊(つ)った無数の船に埋(うず)まっていた。するとその大川の上にどっと何かの雪崩(なだ)れる音がした。僕のまわりにいた客の中には亀清(かめせい)の桟敷が落ちたとか、中村楼の桟敷が落ちたとか、いろいろの噂(うわさ)が伝わりだした。しかし事実は木橋(もっきょう)だった両国橋の欄干が折れ、大勢の人々の落ちた音だった。僕はのちにこの椿事(ちんじ)を幻灯か何かに映したのを見たこともあるように覚えている。

     二三 ダアク一座

 僕は当時回向院(えこういん)の境内にいろいろの見世物を見たものである。風船乗り、大蛇(だいじゃ)、鬼の首、なんとか言う西洋人が非常に高い桿(さお)の上からとんぼを切って落ちて見せるもの、――数え立てていれば際限はない。しかしいちばんおもしろかったのはダアク一座の操(あやつ)り人形である。その中でもまたおもしろかったのは道化(どうけ)た西洋の無頼漢が二人、化けもの屋敷に泊まる場面である。彼らの一人は相手の名前をいつもカリフラと称していた。僕はいまだに花キャベツを食うたびに必ずこの「カリフラ」を思い出すのである。

     二四 中洲

 当時の中洲(なかず)は言葉どおり、芦(あし)の茂ったデルタアだった。僕はその芦の中に流れ灌頂(かんじょう)や馬の骨を見、気味悪がったことを覚えている。それから小学校の先輩に「これはアシかヨシか?」と聞かれて当惑したことも覚えている。

     二五 寿座

 本所(ほんじょ)の寿座ができたのもやはりそのころのことだった。僕はある日の暮れがた、ある小学校の先輩と元町通りを眺(なが)めていた。すると亜鉛(トタン)の海鼠板(なまこいた)を積んだ荷車が何台も通って行った。
「あれはどこへ行く?」
 僕の先輩はこう言った。が、僕はどこへ行くか見当も何もつかなかった。
「寿座! じゃあの荷車に積んであるのは?」
 僕は今度は勢い好(よ)く言った。
「ブリッキ!」
 しかしそれはいたずらに先輩の冷笑を買うだけだった。
「ブリッキ? あれはトタンというものだ」
 僕はこういう問答のため、妙に悄気(しょげ)たことを覚えている。その先輩は中学を出たのち、たちまち肺を犯されて故人になったとかいうことだった。

     二六 いじめっ子

 幼稚園にはいっていた僕はほとんど誰(だれ)にもいじめられなかった。もっとも本間(ほんま)の徳ちゃんにはたびたび泣かされたものである。しかしそれは喧嘩(けんか)の上だった。したがって僕も三度に一度は徳ちゃんを泣かせた記憶を持っている。徳ちゃんは確か総武鉄道の社長か何かの次男に生まれた、負けぬ気の強い餓鬼大将だった。
 しかし小学校へはいるが早いか僕はたちまち世間に多い「いじめっ子」というものにめぐり合った。「いじめっ子」は杉浦誉四郎である。これは僕の隣席にいたから何か口実を拵(こしら)えてはたびたび僕をつねったりした。おまけに杉浦の家の前を通ると狼(おおかみ)に似た犬をけしかけたりもした。(これは今日考えてみれば Greyhound という犬だったであろう)僕はこの犬に追いつめられたあげく、とうとうある畳屋の店へ飛び上がってしまったのを覚えている。
 僕は今漫然と「いじめっ子」の心理を考えている。あれは少年に現われたサアド型性欲ではないであろうか? 杉浦は僕のクラスの中でも最も白※(「皙」の「白」に代えて「日」、第3水準1-85-31)(はくせき)の少年だった。のみならずある名高い富豪の妾腹にできた少年だった。



求人の看護師
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